2013年02月01日

2月 全校集会

3年次が入試を控え自主登校となったため、いつもより参列数が少なくなった
2月1日、2月全校集会が行われました。

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 1.校歌斉唱

 2.学校長講話(詳細は後ほど)
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 3.生徒指導部長講話
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 4.生徒会より 震災復興支援ボランティア募集

校長講話(詳細)
 3年次の授業が終わり、29日から家庭で学習をするようになり、今日の集会から1・2年次だけです。2年次の諸君は、センター試験まで1年を切りました。受験生として、自ら計画を立て、学習に励んでください。1年次は、この1年をチェックし、よくできたこと、反省すべきことを明確にして、4月から学校の中心年次として充実した学校生活を過ごすことを期待しています。4月には12回生を迎えます。在校生諸君は、祥雲館の先輩として、学習、学校行事、部活動など、学校生活の手本となるよう、しっかりと生活してください。
ところで、「天才とは、1%のひらめきと99%の努力の賜物である」とトーマス・エジソンが言った名言を知っていると思います。しかし、エジソンは1%のひらめきを得ることが大事だと日記の中で繰り返しているそうです。「最初のひらめきがよくなければ、努力しても無駄である。ひらめきを得るためにこそ努力はするべきなのに、このことをわかっていない人があまりにも多い」と、自分の発言が世の中に誤った解釈で伝わってしまったことを嘆いていたそうです。
『ひらめき脳』の著者で、脳科学者の茂木健一郎さんは、ひらめきについて本の中に次のように書いています。

ひらめきを生むためには、記憶を司る側頭葉に、ある程度の準備ができていないといけません。その準備とは「学習」のことです。ひらめくためには、それだけのマテリアルを側頭葉に入れておかないといけません。そしてそのために学習が必要となります。暗記する、記憶する、ということと、ひらめきや創造性は正反対であると思う人も多いかもしれません。しかし学習によって記憶のアーカイブがある程度蓄えられないと、ひらめきも生まれません。無からひらめきは生まれないのです。学校の勉強も、まったく無駄になるわけではないということです。

さらに、記憶について次のように書いています。

長期記憶として側頭葉に定着することが脳におけるゴールではありません。そこから記憶の編集が始まるのです。この記憶の編集が非常に重要です。「編集」とはつまり蓄えられたそれぞれの情報の結びつきや関係性が常に変化することです。変化の結果、当初は「この時にこういうことがあった」というエピソードとして貯蔵された記憶が、徐々に「こういう意味がある」という意味記憶に変わっていきます。
記憶が編集されることで、新しいものが生まれてきます。この「新しいもの」を生み出す「記憶の編集力」こそが、「ひらめきを生み出す力」なのです。ひらめきは、記憶の編集過程で出てくるといっても過言ではないのです。

ひらめきや創造性は記憶の中から生みだされるもので、記憶していない、知識がないことについて、ひらめいたり、創造性を発揮したりすることは無いということです。役立たないように思いがちな様々な知識が諸君の創造性の源であり、そうだったのかとひらめいたりする原動力です。しっかりと学習して、すばらしいひらめきと創造性で、社会で活躍、貢献する人材が祥雲館から育つことを願っています。
posted by 三田祥雲館 at 15:51 | 兵庫 ☁ | Comment(0) | 日記